さあ甘やかして頂戴

 ひと月半ぶりにトウヤが寄越してきた連絡は、簡単な挨拶でも近状報告でもなく、訪問のお伺いであった。
 夜、家寄っていい。締め括られているのがクエスチョンマークではないところから、彼の中では既に決定事項なのだろうななんて想像ができた。もし万が一、私が返事をしなかったり予定があると断ったところで、どうせこの男は勝手に上がり込むのだろう。昔からいかにも確認してますよ、というていを装うのがうまい。
 尤も、今夜の私に予定は無いし、今更そんな事咎める間柄でも無いのだけれど。お互いの家へ自由に出入りできるくらいの関係性は出来ているつもりだ。実際、この家の合鍵をトウヤは持っている。うちの家の鍵と自転車の鍵、それから滅多に使われていない彼の自宅の鍵。
 私が合鍵を渡してすぐの頃、自宅と自転車の鍵を無くしたことが一度だけあった。なまえの家に落ちてない?なんて連絡が来て、探すついでに大掃除になってしまったからよく覚えている。結局リーグの事務所の机から出てきたらしいが、二度も無くされては困るからと大きめのキーホルダーでひとまとめにしてやったのは随分前の事だ。
 春先に旅立ったトレーナー達の大半は、旅の集大成としてチャンピオンリーグを目指すトレーナーが殆どだ。毎年夏の暑さが和らいだ頃から少しずつ人数が増え、ソウリュウシティの街路樹が赤く色付き始める頃にはピークを迎える。
 私にとってはトウヤからの連絡が途絶える時期。これはトウヤがリーグチャンピオンに就任してから毎年の事だ。所謂「繁忙期」というもので、一年でこの時期が一番忙しい。二年ほど前にそんなことを本人が言っていた気がする。
 付けっぱなしにしていたテレビの中から、見慣れた天気予報士が今夜の予報を快活に読み上げる。今年一の寒波が来ますよ!と。
 
「夕飯は鍋で決まりかなあ」
 
 ライブキャスターに気をつけてねと一言打ち込み、ヤナッキーの了解スタンプで締めくくった。

 *
 
  ふつふつと煮えた鍋の中へ、一口大の丸をぽとんと落として蓋をする。白菜とお豆腐とえのき。それから今入れたつくね団子に火が通ったら、最後に水菜を入れて完成。

「お。なんか、いい匂いする」
「あっ、コラ!危ないって」

 いつの間に来たのか、リビングに居たはずのトウヤが手元を覗き込んでいた。断ることもなくさも当たり前のように巻き付いてきた右腕を窘める。だけれど彼はそんなことお構い無しといった様子で、むしろ、私が怒らないギリギリのラインを見極めてちょっかいをかけてくる始末だ。
 こうなるからリビングに閉じ込めておいたのに。半開きになっている扉の奥へ視線をやれば、相手を頼んでおいたはずのレパルダスが満足気に伸びていた。その隣にはでかめの毛玉がひとつ、綺麗な丸で転がっている。

「ブラッシングしてくれたんだ?」
「あんだけ強請られたら断れないだろ」
「あの子、トウヤに手入れされるの好きだもんね」

 あのレパルダスは、元々は彼が連れてきたチョロネコだ。旅先で懐かれて連れ歩いていたものの、どうやら彼女はバトルよりのんびり過ごす方が好きだったらしい。
 そんなチョロネコをうちで引き取ったのが数年前。時に厳しく蝶よ花よと育てた結果、今では立派な家ねこポケモンへと成長したわけで。見知りする事なく遊びに来る人には全力で愛想を振りまく姿は、あくタイプらしからぬ可愛さだなと親バカながら思う。
 カタカタと揺れる鍋蓋を持ち上げれば、湯気と共に香ばしいシュカの香りがキッチンいっぱいに広がっていく。先程トウヤが言ったいい匂いの正体は、きっとこの香りの事だろう。
 肩先ですん、と鼻を鳴らしながら尋ねてきたので、食べてからのお楽しみだよと蓋を戻す。中の様子はもうあと三分ほどといった具合だ。
 
「ほら、おしまい。あとちょっとで食べれるから」

 そろそろ離れて欲しいんだけど。そう促すように身体を軽く揺らす。トウヤは鍋なんてとっくに見ておらず、肩口に埋まってしまった頭からはもごもごとよく分からない返事を返してきた。

「トウヤー」
「煮えるまで」

 もう一度体を揺らしてみても、腕をとんとん叩いてみても、張り付いてしまったみたいに背中から離れる気配は無い。巻きついた腕はいつの間にか一本増えているし、言葉通り煮えるまでは離れませんという意思表示のつもりなんだろうか。
 好き勝手に引っ付いてきて、こちらの言う事なんて聞きやしない。まるで猫みたい。だけど、こうなってしまったトウヤは梃子でも動かないだろう。
 肩に乗せられたトウヤの頭へ、少しだけ顔を傾け体を預けてみる。ゆるく巻き付いていた腕は少しだけ緩み、そして先程よりしっかりと体に回される。
 場所とタイミングが悪いだけで、別に私もトウヤにこうして引っ付かれるのが嫌な訳では無いのだ。きっと、私がもう一度離れてとお願いすれば彼はすんなり離してくれる。
 だけどそうしなかった。危ないからと言いつつも、内心では背中の体温に少しほっとした。このままでもいいかと思わせるくらいには、会うのも久しぶりだった。

「諦めた?」
「……だって、絶対離れないんでしょ」
「ははは」

 鍋が煮えるまであと少し。腕の中で大人しくなった私を見たトウヤは楽しげで、そして満足そうに笑うのだった。