狭間のその先
「さあ、お待たせしました!この後いよいよエキシビションが始まるぜ!今回は何と、全国放送されるからな。軽い説明を……――」
エキシビションの開始を告げるアナウンスが会場中に響く。
モニターに映し出されたオーバと名乗るアフロの男性が、マイクなんていらないんじゃないかってくらいの大きな声で慣れたように司会を務めている。フィールドの中央から広がるこの声には聞き覚えがあった。先程試合の実況をしていた溌剌なあの彼だ。
今しがた告げられた通りの軽い説明を聞き流しながら、私は左手へ収まっている小さなそれを握りしめた。滑らかな木の手触りが心地いい木箱。折蓋を上げれば、中身の小さな石はキラキラと光を反射して私の瞳をギラギラと輝かせる。
後で話があるから。そう一言を残し、贈り主の彼は慌ただしくエキシビションの招集へ向かってしまった。お陰様で、もうすぐ試合が始まると言うのに私の思考はぐちゃぐちゃだ。
先日自分の鈍さを痛感したばかり。だけどトウヤが何の話をしようとしているかくらいは分かる。流石の私も、これの意味に気付かないほど鈍くは無いつもりだ。
こんなものを準備していたなんて全然気が付かなかった。怪我の事だってなんにも知らなかったし、あれで意外と隠し事が得意なタイプだったのかも。なんて思いながらその輝く粒に光を反射させる。
それなりに付き合いも長いから、いつかはそうなる日が来てもおかしくは無い。そう思えばそうなのだけど。
先日気付いた彼の位置は、もしかすると私が思っている以上に離れているのかもしれない。伸ばされようとしている彼の手を、私は掴むことができるのか。できることならその手を取りたいけれど、今の自分の位置からあの手のひらに届くのか。
今の私ではまだその答えが出せない気がして、少しだけこの後のことが怖いような気持ちがお腹の奥からじわじわと心の中に広がっていく。まだ、何を言われたわけでもないのだ。今考えても仕方ないんだけど。
せめて試合中は集中して見たい。そんな不安を払うように、私はゆっくりと深呼吸をした。
「隣空いているかい?」
「へっ?あ、はい」
丁度私が息を吐ききったタイミングで声をかけてきたのは、スーツに身を包んだ身なりのいい男性だった。彼は一言断りを入れ、私の隣へと腰を下ろす。
「友人が出るんだ。僕はダイゴ。君も応援かい?」
「えっと、はい。彼が出るので観戦に……。あっ、私ナマエといいます。イッシュから旅行に来てるんです」
「イッシュ?……あぁそうか、君なんだね」
イッシュという単語を聞き、ダイゴさんが意味深な呟きをこぼす。すぐに何でもないよと首を振り、宜しくねと右手を差し出してきた。
七つの地方から集まったトレーナー達が、各組手持ち一体のみで行われる今回のエキシビション。私がダイゴさんの手を握り返したタイミングで、一通り試合の流れを説明し終えたアナウンスが出場者の紹介へと移っていく。
カロスの大女優カルネ。彼女の映画は何本も見た事がある。二人目はホウエンの水のイリュージョニスト、ミクリ。ダイゴさんは自慢げに、彼が友人だとモニターを指差した。
そして画面はガラルの今期チャンピオンへと移り変わる。長らく絶対王者と呼ばれていたのが今映っているダンデ。三年ほど前にルーキーがダンデを下して以降、リーグ上位の入れ替わりが激しいんだとか。今期という単語に首を傾げていた私を見て、ダイゴさんが掻い摘んで説明してくれた。
そして、四人目にドラゴン使いのワタル。カントー、ジョウト二地方のチャンピオンを兼任していると説明が続く。
「カントーとジョウトってチャンピオン同じ人だったんだ」
「あそこのリーグも、少し特殊という意味ではガラルと同じかな。二地方が合同で管理しているんだよ」
「詳しいですね、ダイゴさん」
「そうかい?まあ確かに、他の地方の話題はあまりニュースにならないよね」
てっきりそれぞれでチャンピオンがいるものだと思っていた。だけど、それだと私が先程浮かべていた人数と合わないような。先程控え室で数えたように、今紹介されていた人数をもう一度指折り数えていく。
カロスのカルネとホウエンのミクリ。ガラルからはダンデ。そしてカントージョウトでワタル。この時点で四人。シンオウがシロナさんで、それから。
「シンオウからはもちろん我らが大将ッ!シンオウの考古学者、シロナだ!そして、――」
「……!えっ、なんで」
片手の指が全て折れたタイミングで、モニターへよく知る顔が映し出される。癖の強い茶髪に、それより少し深みのある焦げ茶の瞳。間違えようもない自分の恋人の顔に、私はなんでと言葉を漏らす事しか出来なかった。
「イッシュからは新チャンピオン、トウヤ!」
「……チャンピオン?!」
控え室での出来事を思い出す。あとで分かると笑っていたあの笑顔。そして、この状況……。全てが繋がり、思わず大きなため息が出てしまう。
トウヤは分かっていてわざと黙っていたのだろう。つまり全部。チャンピオンの事だって、あの小さなダイヤの事だって、全部トウヤが仕組んだサプライズという訳だ。
「……敵わないはこっちのセリフ」
へなへなと体中の力が抜けた。
そういえば、腰抜かしそうなんてことも言っていたっけ。ここまでくると、全部彼の手のひらで転がされていた気分になってくる。いや実際転がされていたんだけど。
「お、準備も整ったみたいだな。さあ!いよいよ選手の入場だ。第一戦は、トウヤVSシロナ!両者入場!」
モニターの画面は対戦表へ切り替わり、同時にフィールド脇の扉が開く。
中から現れたのはよく知る二人。だけど普段からは想像もつかない程の熱を纏い、フィールドを挟み向かい合う。
「熱い勝負が見れるのを期待しているぜ!第一試合開始ッ!」
開始の合図がフィールドへ響き紅白のボールが高く投げられた。放たれる光は緩やかな半弧を描き、その先に現れた二匹のポケモン。ガブリアスとジャローダだった。
カメラが彼らの姿を大きく切り抜いた。シロナさんは不敵に微笑み、それをトウヤの眼光が鋭く射貫く。勝利だけを見据えたトレーナーの瞳。
殺気にも近い彼らの熱量は、気を抜けば呑み込まれて息が出来なくなってしまいそう。自分に向けられたものではないのに、短く息を吸うのが精一杯だった。
「ジャローダ、へびにらみ!」
「避けなさいガブリアス」
ジャローダがしなやかにとぐろを巻き、主人に負けず劣らずの眼光をガブリアスへと向ける。
地面を蹴りあげ空を舞う竜の体に青白い光がチリチリと爆ぜる。そのまま宙をくるりと回転し、長い尾を振り降ろした。
「指示してないのに……!?」
「相変わらず彼女とガブリアスの連携は恐ろしいね」
衝撃波がビリビリと空気を伝う。それは私の鼓膜を震わせて、意識をバトルの熱気へと呑み込んでいく。
直撃の爆風で身体が投げ飛ばされたジャローダはすぐに体勢を整える。ガブリアスから何かを吸収すると、蛇の鱗がキラキラと反射するみたいに光を纏う。
「回復、してる?」
「わざと技を受けて宿り木を植え付けたんだ」
それを見たダイゴさんは、こちらも似た者同士だったね、なんて楽しそうに口角を上げる。涼し気なアイスブルーの瞳は、熱を籠らせぐらりと揺らめいた。
「ガブリアス!もう一度アイアンテール!」
「リーフストームで迎え撃つぞ!」
木の葉で翻弄するようにフィールドの空気が渦巻いて、やがて一本の巨大な渦となりガブリアスを巻き込んでいく。
正面から技を受けたガブリアスは険しい顔で膝を付く。その身体から畳み掛けるように吸い取ったものは、蛇の鱗をキラリと輝かせた。
まるで吠えるように飛び交う二人の指示。その短い言葉を、最大限汲み取り立ち回る二匹のポケモン。目の前で繰り広げられる、息着く間も与えない攻防。その全てに目が奪われる。
繰り出す技は雄雄しくも、その姿はしなやかでとても綺麗だ。フィールドを駆ける二匹を見てそう思った。
会場中に轟音が響く。
竜が大地を激しく揺らしているのだ。先程控え室で見たものなんて比べ物にならない程の大きな揺れは、建物を鳴らし土煙を巻き上げる。
「……っ!頑張ってジャローダ!」
揺れに耐えながらも苦しそうな表情を滲ませるジャローダに、堪らず声を張り上げる。聞こえていなくてもいい。それでも叫ばずには居られなくて、力任せに喉を震わせた。
「ジャローダ!ありったけくれてやれ!」
トウヤの声に呼応するようにジャローダが空気を渦巻く。放つ度威力を増したその渦は、全てを巻き込みガブリアスへと迫る。
暴風が吹き荒れ、震える大地。
嵐のようなそれが収まった頃、片方がゆっくりと地面へ倒れ込む。
「……――!勝負あり!」
静まり返ったフィールドに告げられる勝負の行方。
画面一杯に映し出されたのは、にんまりと満足そうに口角を上げた大好きな笑顔だった。
***
全ての試合が終わり、エキシビションを終えた選手を数台のカメラが囲む。
矢次に飛んでくる質問。それをチャンピオン達は慣れたように捌いていく。自分もその輪の中にいるというのに、まるで有名人みたいだななんて他人事のように考えた。
イッシュでは今頃ニュースになっているだろう。正式な就任は来月から。向こうへ戻り次第、引き継ぎが始まることになっている。
アイリスが突然連絡を寄越してきたのは、丁度一年程前。カントーとジョウトを一通り周り終えた頃のことだ。挨拶もそこそこに彼女から告げられたのはチャンピオンを引退するという事で、更にはその後任として俺を推薦しているという。
今までの俺なら即答で断っていたと思う。正直チャンピオンなんていう柄ではない。どちらかと言えば、立ちはだかるより超えていきたい。そういう性分だ。
この連絡が来た時、頭に浮かんだのはナマエの顔だった。彼女だけじゃない。カノコを出て旅をして、沢山の人に出会い助けられてきた。
柄にもない推薦を受けると決めたのは、――進むべき複数の道を示してれた彼らのように、誰かの道標になってみるのも悪くない。そう思ったからだ。
「トウヤ君、ここはいいからもう行きなさい」
「え?いやでも、流石に」
「平気よ。それに、」
あの子、聞きたい事沢山あると思うわよ。そう耳打ちし、シロナさんが観覧席を指差した。その先を追えば、一人客席で待ちぼうけているナマエの姿に辿りつく。
最後まで全てお見通しなのだろう。返事をするよりも早く、輪の外へと押し出されてしまった。せっかく気を回してもらったし有り難く退散しようと、外で落ち合おうとナマエへ一言を送る。
一足先にリーグの外へと歩み出せば、太陽はすでに地平線の向こうへ落ちた後だった。相変わらず真冬のような寒さで、無意識のうちに渋い顔になってしまう。
見上げた夜空は無数の星で埋めつくされており、目下へ広がる真っ黒な海に満月がゆらゆらと浮かぶ。その先にはナギサの街が爛爛と光輝いていて、こういうのはナマエが喜びそうだなと自然と口元が緩んだ。
「トウヤ!お疲れ様」
「……、おー」
しばらくその景色を眺めていれば、聞き慣れた声がこちらへ手を振りながら駆け寄ってきた。
聞きたい事、聞いて欲しい事。それから伝えなくてはいけない事。彼女の声に軽く返事を返しつつ、何から切り出したものかと思案を巡らせた。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはナマエだった。言いたいことがあると不満げな様子は、イッシュから連れだしたあの日と同じだ。
「俺も話したい事あるんだけど」
「知ってる。だからジャンケンしようか」
突拍子もない提案に驚きを隠せずにいたが、彼女はそんな事気にする素振りもなく構えた手を振りかぶった。勝てた方が先に喋る。そういう事らしい。
馴染みの掛け声に釣られ握りこぶしを突き出したものの、彼女の開いた手のひらの前に呆気なく決着が着いてしまった。
「私の勝ち」
「お前なぁ……」
先程と打って変わって満足気な笑みを浮かべるナマエ。そしてすぐに、試合の感想に花を咲かせていく。
控え室のモニターと会場で見たのとでは迫力が全然違った、だとか。ジャローダもガブリアスもかっこよかった、とか。それから第二、第三試合も面白くて目が離せなかった!とか。
楽しげに言葉を連ねていく彼女の表情を見てほっと胸を撫で下ろす。
「チャンピオンの事、教えてくれても良かったのに」
「いや、ごめん。忘れてたのもあるけどびっくりするかなと思って。腰抜けた?」
「ぬ、抜けてないから……!」
ナマエは不服そうに否定するが、その口振りから何となく想像が出来てしまった。思わず笑い声が漏れるが、彼女の眉尻が少し上がったのを見てすぐに口を閉じる。
「もう!それもこれも、全部……トウヤのせいじゃない」
全部俺のせいだ。そう彼女は絞り出し、小さく息をつく。そしてゆっくりと言葉を続けた――ずっと羨ましかった、と。
親子に兄弟、それから恋人みたいな不思議な関係。だけど自分はその輪の様子を外から見ているだけだった。ジャローダが聞けば臍を曲げそうな言葉が、ナマエの口からぽつりぽつりと零れていく。
「私の知らないトウヤと、みんなはずっと一緒に旅してきたんだなって思ったの。それが凄く羨ましくて……。でも、」
「でも?」
「ジャローダの言葉でやっと気付いたよ。まだ全然届かないかもしれないけど、」
そう言って突き出された彼女の手。受けるように手を差し出せば、中からは先程握らせた木目模様がころりと落ちてきた。
それを交代と捉え、小さく息を吸ってから口を開いた。
「チャンピオンにならないかって言われた時、ナマエの事を思い出した」
彼女はただ静かにこちらへ視線を向けたまま。ぐらぐらと揺れ始めた瞳を逃がさないよう真っ直ぐに見据え、言葉を続けていく。
「沢山の人に支えられてきたけど、俺が俺のままで英雄になれたのは、ナマエが変わらず居てくれたからだ。だからジャローダもああ言ったんだよ」
「……私トウヤに何もあげられるものがないよ。それにまだ、――!」
ナマエの絞り出すような声を遮るように、その手を引き寄せる。少しの力で簡単に倒れてきた身体をそのまま腕の中へと抱き込んだ。
まだ、全然届かない――先程彼女が言った言葉だ。
「届いたろ。別に遠くない」
「いや、……そういう意味じゃ」
ナマエが言いたいことはそうじゃない事なんて分かっている。だけど俺にとってはそんな事同じ事で、そんなもの、簡単に。
「同じだよ。こうすりゃ簡単に飛び越えていける」
「……」
「この先絶対泣かせないとも、後悔させないとも言い切れないけど。だけどこの先……、俺が死ぬまで隣にいたいと思うのはナマエの隣だよ」
離してやるのももう到底無理な話なのだ。
「もー……ほんっと、適わないなぁ」
押し付けるようにして心臓の辺りへ埋まっていた頭が、もぞりと身動ぎ上を向いた。
彼女の不安が全て無くなった訳ではないだろう。それでも、これからひとつひとつ潰していけばいい。そう出来たらいいと思う。
真っ直ぐこちらを見上げるナマエと視線が絡む。
「私でいいの?」
「ナマエがいい。ナマエと一緒に生きていきたい」
自分が御守りになる。あの夜、微睡みながらこぼした彼女を、護られるだけじゃなく一生かけて護れるように。この手の中の八芒星にそう願った。
彼女の瞳が揺れることはもう無かった。