01

 今年の桜前線は例年よりも少しだけ早く、この町を薄桃色へと染め上げた。
 あんなにも寒かった冬が嘘のようで、心地よい陽気に気持ちが浮き足立つのを感じながら胸元の蝶結びを整える。卸したばかりのスカートには、綺麗な折り目がまだしっかりと付いていて、姿見越しにひと回りすれば、重たげに裾が広がった。
 やっぱり……、ブレザーの学校にしといたら良かったかな。中学の頃とあまり変わり映えのしない自分の制服姿を見て、安直なことを考える。それでもつい先日まで着ていた中学生のそれよりは、いくらか大人びて見えるから不思議だ。
 
「ナマエー! 置いてっちゃうよ」
 
 鏡の中の前髪を撫で付けていると、窓の外からおぅい!と元気な声が聞こえてきた。置いていくと言う割には全く急いでいなさそうに、はやくと急かす。
 呼ばれたままに顔を出すと、よく知る顔が二人、玄関先で立っていた。ぶんぶんと手を振っているのがベル。その隣ではチェレンがデジカメを肩にかけながらこちらを見上げていた。
 二人に今行くねと手を振り返し、家の階段を駆け下りる。
 
「こら! 階段は走らないっていつも言ってるでしょう」
「へ、平気だって」
 
 春風のように軽やかだった足取りに待ったをかけたのは、タイミング悪く階段下に居た母だった。小言を二つ返事で聞き流し、けれど少しだけ慎重に階段を降っていく。
 
「入学早々松葉杖なんてことになっても、お母さんもう知らないからね」
 
 "中学の時みたいに"。下駄箱の上の写真立てに目配せをしながら、ため息混じりに母はそう付け加える。
 
「今年は階段落ちなかったみたいだね」
「……おかげさまでね」
 
 母を振り切り玄関ドアを開けると、今度は幼馴染からの小言が飛んできた。わざとらしく眼鏡をあげているチェレンに、こちらもわざとらしく返事を返す。
 
「おはよナマエ! やっぱりその制服、良く似合ってるね」
「そうかな? ブレザーの学校にしたら良かった、なんて揺らいじゃったけど……。ベルもその赤いリボンよく似合ってるよ。チェレンもね」
 
 えんじ色のリボンとネクタイにそれぞれ視線を送り、親指と人差し指で丸を作ってみせる。
 
「そんなついでみたいに言われても。まあでも、褒め言葉として受け取っておくよ」
「素直じゃないなぁ。――それよりトウヤは?」
「現地集合だって」
 
 ふぅん、と小さく頷いた私の背中に、ベルの意味深な目配せがちくちくと突き刺さった。

 
 家から数分歩いた所に小さな公園がある。滑り台にブランコ。それからシーソーと鉄棒があるだけのとても小さな公園だけど、一本だけ、敷地の隅に大きな桜の木が植わっている。毎年綺麗な花を咲かせるその木の前で、みんなで写真を撮るのが私たち幼馴染の恒例行事になっていた。
 
「お、今年は無事じゃん」
 
 桜の幹へ寄りかかるように立っていた男が、待ちくたびれたと言いたげに顔を上げる。私のセーラー服と同じ真っ黒な学ランが既に着崩る学ランは。そんなトウヤの姿を見て、チェレンが入学式もまだなのにと呆れたような小言を零す。
 
「あのさぁ……チェレンもトウヤも、毎年それしか言うこと無いわけ?」
 
 三年前の一瞬のドジも、こんなに毎年使い倒されるだなんて思いもしなかっただろう。ボロ雑巾のように擦り切れてしまった骨折ネタを律儀に掘り返してくれた幼馴染二人へ、最大限冷ややかな視線を返す。
 
「はいはい元気で何より。チェレン、カメラ貸して」
「よろしく。ほら、二人とも並ぶよ」
 
 桜の木の数メートル前へチェレンがザリザリと一本線を引いていく。その線を基準にするように横並びに列を作り、カメラへと向き直る。
 
「トウヤはナマエの隣でいい? 丁度空いてるし! ねっ、ナマエ」
「え? ちょっとベル」
「んなもんどこでもいいよ。……ほら、撮るぞ」
 
 私の返事を聞くよりも先に、トウヤの指先がカメラのシャッターボタンへかかる。
 言葉通りどこでも良かったのだろう。中途半端に空いていた隣の空間を、もっと詰めろと私を押し込めるようにしてトウヤが並ぶ。
 軽く押されただけなのに肩がじんわりと熱を持った。熱くて、近い。ぴこ、ぴこ、と間の抜けた電子音をぼんやりと聞きながら必死に冷静を保つ。盗み見るように隣へと視線を逸らすと、トウヤはまっすぐカメラを見つめていた。私だけが変みたいだ。
 
「……見すぎ」
 
 一瞬、蜂蜜色の瞳がこちらを掠めすぐに逸らされた。笑っていたのか、揶揄われていたのか。少しだけ細められたそれの意味は分からないままだ。
 そうこうしているうちにカメラから響く電子音も次第に早くなり、私は慌てて正面へと向き直る。ひらひらと一枚の花びらがカメラの上に落ち、それを待ち構えていたかのようにタイミング良くフラッシュが弾け光った。
 ――あ……、あの日と同じ。
 忘れもしない、忘れられるわけもない。私の初恋が始まったあの瞬間。
 九年前も入学式の前日だった。今日みたいな心地の良い春の陽気で、けれど例年より少し早く咲いた桜は既に散り始めていた。
 まだ綺麗なランドセルを背負う私たちを、それぞれの母はじっとしてなんて窘めた。当然小さな子供がタイミングよく言う事を聞くわけもなく、カメラを片手に父達が困り果てていたのをよく覚えている。
 そんな中、私の父の頭に桜の花びらがひらりと落ちた。というか、既に数枚が積もり始めていた。おじさんの頭が可愛らしい花びらで飾られていく様子が面白かった私は、すぐに隣のトウヤへ声を掛けた。見てよあれ、お父さん可愛くなっちゃった、って。
 当然いつものように大笑いしてくれると思っていた。二人で笑ってるところにベルが興味津々に顔を出してきて、そんな私たちをチェレンがうるさいよって怒る。それが私たち幼馴染のいつものやり取りだったから。
 意外にも、トウヤはいつもより少しだけ近い距離で、ほんとだと小さな声で笑っただけだった。緩められた瞳と目が合った後、心臓は急に騒がしくなって、それからの私はしばらく何も言えなくなった。ふたりだけの秘密事にするみたいな優しい声はなんだか違う人ようで、あの日からずっと耳に残って離れない。
 今思えば、なんであんなことでって自分でも呆れてしまう。けれど明確に、あの瞬間、私の中でトウヤはただの幼馴染ではなくなったのだ。
 ひょんな事から芽吹いてしまった私の初恋は、長い年月をかけて順調に育ち、気付いた時には無理やり引っこ抜く事も出来なくなっていた。動脈へ絡まるように伸びたツルと、その根元を隠すように茂った葉っぱ。それからつぼみだけが大きく育っている。
 残念ながら、花が咲く気配は無い。

枯れもせず、それきり